和田 賢二
和田 賢二
倉敷中央病院 心臓血管外科

心臓外科医として後輩達へ

「declump!」

掛け声と共に、今まで温め過ぎたお餅のようにぐったりしていた心臓が再び鼓動し始めた。すっかり元気を取り戻して開胸器から今にも飛び出していきそうな心臓を目の当たりにして、学生時代の自分自身の“心臓”は不思議さと感動とが混ざり合って、何とも言えない「神秘さ」を感じた。

それ以来、かれこれ5年の月日がここ倉敷で経とうとしている。心臓外科医になっても、いまだに心臓に鼓動が戻る瞬間はこの神秘さを少なからず感じている。人として生を受けるずっとずっと前から母親のお腹の中ですでに拍動を始めている心臓。一生で20億回鼓動し続けているとも言われている。いつも人工心肺に乗せる前に、力を振り絞って血液を送り出そうと、故障しながらも精一杯もがいている心臓をみると「お疲れ様」と声をかけたくなってしまう。

「自在に心臓を停止・再拍動させる事ができたら、どんなに貢献になることだろう。」

1955年心臓外科の世界で最大の遺産とも呼べる「心筋保護液」を開発したDennis Melroseの言葉である。1953年に初めて人工心肺が臨床使用され、約2年後に心筋保護液という武器を手に入れて、開心術は飛躍的に安定していく。実はまだ人工心肺の歴史は60年ほどしか経過していないのだ。自分の父親と同い年であることには驚きである。

自在に心臓を操る能力を持つということは、その人の将来を一任することであり、そこには並々ならぬ責任がのしかかる。一つのほころびが簡単に死へと転げ落ちていく。手術前に一生懸命励ましていた患者さんが手術後に一度も覚めることなく亡くなることもある。その冷たくなった身体を肌で感じると申し訳なさと自分の未熟さに涙が止まらない。逆に、今にも亡くなりそうな患者さんが驚くほど元気になって歩いて帰っていく。その希望に満ちた背中を見ると、この上ない達成感と喜びがこみ上げてくる。だがらこそやめなられない。幸せな人を感動させたいのではなく、泣いている人を笑わせてあげたい。いつもそう思っている。

生涯の仕事は心臓にあり。一人でも多くの心臓を生き返らせることが出来れば、これほど喜ばしいことはないのではないか。一人でも多くの心臓外科医が育ち、この神秘的で未知なる世界が発展していくことを強く願う。更なる高みを共に目指そうではないか。