大徳 和之
大徳 和之
弘前大学大学院医学研究科
胸部心臓血管外科学講座

―元患者からのメッセージ―

私は平成8年に医学部を卒業し医師となりました。医学生や研修医の皆さんはまだ生まれていないか赤ちゃんだった頃でしょうか。私が生まれたのは昭和45年です。その後に先天性心疾患の診断で、東京女子医大・心臓血圧研究所へ入院しました。1歳7ヶ月時の心臓カテーテル検査により大動脈肺動脈窓の確定診断がつきました。著明な肺高血圧症を伴っており手術適応と判断されましたが、始めの手術説明で両親は手術を断ったようです。2歳10ヶ月時に両親は手術を決心します。当時の手術記録を見る機会がありました。執刀は今野草二先生でテフロンパッチを使って肺動脈側より欠損孔を閉じています。私のことは論文に掲載されており(Mori K et al. Br Heart J 1978; 40: 681-9)、文献から判断すると日本で第2例目の成功例でした。その時の傷が右鼠径部に残っています。病歴要約を見ると送血路として使用した右外腸骨動脈から術後出血したらしく結紮したと記載がありました。このときの様子を見て両親は「この子はもうだめだ。」と諦めたそうです。

私が当時の記録を見ることができたかと言うと40歳で再手術を受けた時、東京女子医大の御好意により手術記録、病歴要約のコピーをいただいたからです。私を救おうと懸命に治療した先人達の苦労を偲ばせるものでした。そして心臓血管外科医を道半ばで諦めようかと思っていた自分を奮い立たせることができた瞬間でした。私の命は両親の決心、それを説得した小児科医、そして成功に導いた心臓血管外科医とコメディカルにより守られていたのだと悟りました。2回目の手術も成功し、現在もメスを握ることができています。医学生や研修医の皆さんでこのような体験をした人は少ないと思います。

指導している医学生・研修医には道に迷ったら常に原点に戻るように伝えています。「なぜ医師を目指そうと思ったのか?」それは小さなきっかけで良いと思っています。そうして自分の思った道へ進んだ時、様々なつらい事があってもやり抜く事ができると確信しています。不幸にして思ったような結果が出ない場合ももちろんあります。そのような時、私は常に自問自答します。「先人達の苦労に恥じない仕事、手術をしているか。」「医学の進歩に少しでも貢献しているか。」その答えを探すために努力を続けています。命を左右する厳しい仕事ですが喜びもひとしおです。医学生、研修医の皆さんも一生を捧げる仕事として胸部外科を選んでみませんか。