HOME >  胸部外科医を目指そう!  >  若手医師からのメッセージ:心臓血管外科 2015年掲載
若手医師からのメッセージ

2015年掲載

宮崎大学医学部附属病院 外科学講座
森 晃佑

 

 僕は卒後4年目で、宮崎大学医学部附属病院外科学講座に入局して2年目になります。外科専門医取得を目指して外科の各分野をローテート中で、現在は同院の呼吸器・乳腺外科に勤務しています。
 僕は医学部に入学した頃から心臓血管外科医を目指していました。看護師をしている母親の影響で医療の仕事に興味を持つようになりましたが、医療を扱ったテレビドラマをよく見ていました。「心臓血管外科医ってカッコイイなぁ」という漠然とした憧れが僕の心臓血管外科医を目指すきっかけでした。
 医学生時代、臨床実習で外科の各分野を回るわけですが、僕の場合、心臓血管外科で実習する機会はありませんでした。医師になり、研修医2年目の時に心臓血管外科で研修し、初めて心臓の手術を見ました。胸骨が開き、心膜越しに拍動している心臓を見て、胸がどきどきしたことを覚えています。そして心膜が開いて心臓が露わになると、目の前で拍動する心臓に目が釘付けになっていました。手術が進行していく中で、拍動をやめ冷たくなった心臓に触れ、そして再び心臓が動き始める瞬間を目の当たりにし、初めての心臓手術は驚きと感動の連続で、手術の内容は全く覚えていません。当時、手術が終わって思ったことは、「やっぱり心臓外科医でカッコイイなぁ」ということだけでした。
 外科に入局し現在後期研修中ですが、4年目の4月からこの間まで再び心臓血管外科で研修をしました。僕はオーベンの先生について回るばかりですが、心臓血管外科医の先生たちと一緒に仕事をしながら、手術の楽しさ・おもしろさを実感しました。心臓血管外科領域の手術はとても複雑ですが、勉強して少しでも理解できれば理解できた分、手術が楽しくなります。送血管・脱血管をどこから入れるのか、心筋保護液はどのルートからいくのか、体温は何℃まで冷やすのか、どのタイミングで冷やしどのタイミングで温め始めるのか、複数の手技をどの順番で行うのか、いろいろなことを術前からプランニングし、それを1つ1つ確実にこなしていく。どこかに綻びが生じるだけで手術がうまくいかない。非常に難しくて高い技術を要する心臓血管手術ですが、それがとても魅力的に感じました。
 そんなこんなで僕は心臓血管外科医を目指しています。心臓血管外科はとても楽しくやりがいのある領域だと思います。もちろん、僕もまだ知らない大変さ、過酷さもあると思います。そういう意味でも心臓血管外科医は僕にとって雲の上のような存在ですが、早くそこに近づけるよう頑張りたいと思います。研修医や医学生のみなさんも、外科に興味があれば是非、心臓血管外科での研修をオススメします。

倉敷中央病院 心臓血管外科
藤本 侑花

心臓血管外科医の道へ

私は心臓血管外科の後期研修医2年目です。この立場から言えることなどほとんどありませんが、多少ながら、皆様が心臓血管外科を選ぶ糧にでもなればと存じます。学生から初期研修医では動的な病態に魅せられて循環器内科を目指しておりましたが、後期研修の応募1ヶ月前に心臓血管外科のローテをして、急遽方向転換し自分の行ける施設を探しました。カテーテルと違い、そこには生の心臓があって、エコーなどで間接的に見る心臓と違い、構造が明らかで、その形成をする事で、術前の心不全が解除され元気になって帰っていく患者様をみて感動致しました。人の命に関わる仕事を“profess”されて医師の道へ進んだ私が、目の前で動いている心臓、周りで連携されて織り成されていく手術、中心で見事に新たな構造を生み出す術者をみて、感激し、今まで“興味がある”と思う科はあっても、心から“楽しい”と思う科ははじめてでした。大変であることは想像できましたが、楽でも興味のないことは何もできませんが、興味のあることであれば辛くても進めると感じました。幸い周囲に大変恵まれ、背中を押してくれた同期、先輩先生方の力でこの道の扉を開けることができました。業務の実際は大変なもので急変も尽きない科ではありますが、一人ではできない手術はコメディカルや他科の先生方と一体になってはじめてなされる、他の科には無い魅力がそこにはあります。皆様も少しでも興味があれば、恐れず進むべき科であると思います。選ばなければ後悔をします。女性も1割いる科になり、もはや性別で科の選択を制限する時代は古いです。幸い、後期研修をさせていただいている病院ではそういったことによる弊害は全くありませんし、そうなっていくと思います。批判は容易いことです。それに負けず常に前を向くことで得られるものは計り知れません。迷う必要は無いと思います。私の尊敬する有機合成化学者 向山 光昭先生のお言葉をお借りして、素直さと明るさと情熱を持ってすればどこに身を置こうとも必ず道は開けるのだと思います。

日本医科大学 心臓血管外科
高橋賢一朗

心臓血管外科という選択

 医学生や初期研修医の皆さん、初めまして。日本医科大学心臓血管外科の高橋と申します。皆さんに、少しでも心臓血管外科医の魅力を知ってほしいと思い、自分がこの分野を決断した過程を少しお話しさせて頂きたいと思います。

 医学生の時に見た「心臓血管外科医」の姿は、いろんな意味で「すごい人達だな・・・」という印象でした。手術室では怒声が響き渡り、道具が飛び、実習生の私は気配を殺して気付かれないようにしていたのを覚えています。そして何日も家に帰らず働き詰めという状況を目の当たりにして、「もう二度とこの科と関わりを持つことは無いだろう」と思っていました。まさか、自分が心臓血管外科の門を叩くとは少しも予想していませんでした。

 約2年が経ち、初期研修医としてある外科で実習していた時のことでした。とある日の手術で、腹部大動脈周囲の操作で大動脈を損傷し大出血を来たす、という状況を経験しました。私は第3助手として鈎を引いていました。術者の先生がなんとか止血を試みるのですが、噴出する出血点を制御することは不可能でした。モニターでは血圧はどんどん下がっていき、手術室が慌ただしくなり、まさかの事態が私の頭をよぎりました。
 「心臓外科の先生呼んで!」と術者が叫び、すぐに駆け付けてきた見知らぬ心臓血管外科医に、その患者さんの命運は託されました。拡大鏡とヘッドライトを付けて、それまで見たことの無い道具や糸を使って、あっという間に出血を制圧する心臓血管外科医に、ただ見入っていました。手術は無事に終わりました。
 当初の予定を変更して、翌月から心臓血管外科を研修することにしました。他の科と比べて圧倒的に強いインパクトを感じたことを鮮明に覚えています。周術期を通して心臓や全身の状態は秒刻みでダイナミックに変化する中、毅然と立ち向かう心臓血管外科医を眩しく感じました。これほど医師の技量や判断力が患者さんの明暗を分ける分野は他に無いと感じ、この道を選びました。

 大学病院の外科医は若いうちにあちこちの病院で働いて回ります。私も毎年勤務する病院を移って、それぞれの施設で修練を積みました。外科医の技術は若いうちの鍛錬が肝心で、どこの施設でも上司は私を熱く指導してくれました。始めは皮膚を切ったり糸を結んだりすることもままならない駆け出しが、3年かけて心臓の手術を完遂するまでに成長することができました。その過程で、手術が巧い外科医は、常に安定して自分の技術を発揮する外科医であるとわかりました。「神の手」と呼ばれる外科医がいるとしたら、とんでもない離れ業を披露するのではなく、どんなに厳しい状況でもいつもと変わらない手術を淡々とこなすのだと思います。そんな外科医をイメージして、手術に、日常診療に携わってきました。
 心臓血管外科医は、生半可な姿勢では務まりません。これは紛れもない事実です。実際に自分が初期研修医の時期は、「果たして自分に務まるのだろうか」と長い期間悩んだことを覚えています。しかし、この領域に魅力を感じ、心臓血管外科医となった自分をイメージできたのであれば、是非チャレンジしてみてください。きっと、人生を懸けるに値する、やりがいに満ちた日々が待っていることと思います。

倉敷中央病院 心臓血管外科
和田 賢二

心臓外科医として後輩達へ

「declump!」

 掛け声と共に、今まで温め過ぎたお餅のようにぐったりしていた心臓が再び鼓動し始めた。すっかり元気を取り戻して開胸器から今にも飛び出していきそうな心臓を目の当たりにして、学生時代の自分自身の“心臓”は不思議さと感動とが混ざり合って、何とも言えない「神秘さ」を感じた。

 それ以来、かれこれ5年の月日がここ倉敷で経とうとしている。心臓外科医になっても、いまだに心臓に鼓動が戻る瞬間はこの神秘さを少なからず感じている。人として生を受けるずっとずっと前から母親のお腹の中ですでに拍動を始めている心臓。一生で20億回鼓動し続けているとも言われている。いつも人工心肺に乗せる前に、力を振り絞って血液を送り出そうと、故障しながらも精一杯もがいている心臓をみると「お疲れ様」と声をかけたくなってしまう。

 「自在に心臓を停止・再拍動させる事ができたら、どんなに貢献になることだろう。」

 1955年心臓外科の世界で最大の遺産とも呼べる「心筋保護液」を開発したDennis Melroseの言葉である。1953年に初めて人工心肺が臨床使用され、約2年後に心筋保護液という武器を手に入れて、開心術は飛躍的に安定していく。実はまだ人工心肺の歴史は60年ほどしか経過していないのだ。自分の父親と同い年であることには驚きである。

 自在に心臓を操る能力を持つということは、その人の将来を一任することであり、そこには並々ならぬ責任がのしかかる。一つのほころびが簡単に死へと転げ落ちていく。手術前に一生懸命励ましていた患者さんが手術後に一度も覚めることなく亡くなることもある。その冷たくなった身体を肌で感じると申し訳なさと自分の未熟さに涙が止まらない。逆に、今にも亡くなりそうな患者さんが驚くほど元気になって歩いて帰っていく。その希望に満ちた背中を見ると、この上ない達成感と喜びがこみ上げてくる。だがらこそやめなられない。幸せな人を感動させたいのではなく、泣いている人を笑わせてあげたい。いつもそう思っている。

 生涯の仕事は心臓にあり。一人でも多くの心臓を生き返らせることが出来れば、これほど喜ばしいことはないのではないか。一人でも多くの心臓外科医が育ち、この神秘的で未知なる世界が発展していくことを強く願う。更なる高みを共に目指そうではないか。